TOKIO『5LDK』
を見てから、ひめが
1992・1 SMAP【1st Live】
「やってきましたお正月!!コンサート」
を「見たい、見たい」とうるさかったので、昨夜は
↑DVD鑑賞会となりました。(私は家事をしながら
でしたが、ひめTV画面の正面に陣取って、最後まで
ちゃんと見ておりました。)
「中居くん、バラードけっこう良いんですよ。」(@吾郎ちゃん)
「バラードといえば中居さん」
「SMAPのバラード担当」
「先生!!」(@『Goro’s Bar』)
中居氏の声はやっぱり、この頃から(ちゃんと歌って
いらっしゃるし)良いのです♪(好き)
☆
一番最初(試写会)に、【貝】を観たときに
「?」だった部分、二度目に劇場で鑑賞する時に
確かめようと思っていたのですが、結局「それどころ」では
なく、昨日「パンフレット」を拝読(見)していて
「あっ、そういうば・・・・」
と、思い出したのですが(日々、衰える思考(涙)
豊松さんが「絞首刑」を告げられ、手紙を書いている時
までは、房にいる時と同じ服装なのですが
処刑場に連れていかれる時には、服がボロボロになって
いて、あれは処刑させられるから、「あの服」に
着替えさせられたのかな?と思ったのですが
そうなると、矢野中将の時は、どうだったかな?
と思っていたのです。
また観に行きますが、本当に【貝】を鑑賞しますと
気持ちが持っていかれる(世界に嵌ってしまう)ので
その「確かめ」をまた忘れそうなのです。(苦笑い)
☆
本日も、papaはお仕事
片道、2時間半掛かる場所まで行っているので、毎日
通勤だけで辛そうなのです。
最近、papaのこと悪く言っていた(愚痴っていた)自分が
情けなくなりました。(悪妻を反省)
年末、年始のアルバイトはあるのですが
今後のことを考えましたら
一応、資格の勉強もしているのですが、まだまだ時間が
掛かるので、ちゃんとした「転職」を考えた方が
いいのか悩み中です。
を見てから、ひめが
1992・1 SMAP【1st Live】
「やってきましたお正月!!コンサート」
を「見たい、見たい」とうるさかったので、昨夜は
↑DVD鑑賞会となりました。(私は家事をしながら
でしたが、ひめTV画面の正面に陣取って、最後まで
ちゃんと見ておりました。)
「中居くん、バラードけっこう良いんですよ。」(@吾郎ちゃん)
「バラードといえば中居さん」
「SMAPのバラード担当」
「先生!!」(@『Goro’s Bar』)
中居氏の声はやっぱり、この頃から(ちゃんと歌って
いらっしゃるし)良いのです♪(好き)
☆
一番最初(試写会)に、【貝】を観たときに
「?」だった部分、二度目に劇場で鑑賞する時に
確かめようと思っていたのですが、結局「それどころ」では
なく、昨日「パンフレット」を拝読(見)していて
「あっ、そういうば・・・・」
と、思い出したのですが(日々、衰える思考(涙)
豊松さんが「絞首刑」を告げられ、手紙を書いている時
までは、房にいる時と同じ服装なのですが
処刑場に連れていかれる時には、服がボロボロになって
いて、あれは処刑させられるから、「あの服」に
着替えさせられたのかな?と思ったのですが
そうなると、矢野中将の時は、どうだったかな?
と思っていたのです。
また観に行きますが、本当に【貝】を鑑賞しますと
気持ちが持っていかれる(世界に嵌ってしまう)ので
その「確かめ」をまた忘れそうなのです。(苦笑い)
☆
本日も、papaはお仕事
片道、2時間半掛かる場所まで行っているので、毎日
通勤だけで辛そうなのです。
最近、papaのこと悪く言っていた(愚痴っていた)自分が
情けなくなりました。(悪妻を反省)
年末、年始のアルバイトはあるのですが
今後のことを考えましたら
一応、資格の勉強もしているのですが、まだまだ時間が
掛かるので、ちゃんとした「転職」を考えた方が
いいのか悩み中です。
コメント
実は、私は「貝」を見てからずっと同じことを考えています。
豊松が手紙を書き終わってから、処刑場に連れていかれるまで、何があったかな?
服がボロボロになったし、爪に垢があるし…でもどのインタビューにも言わなかった。
これを監督さんに一番聞きたいです!
答えがないだろうと思いますが…
私と似たようなことを考えている人がいて、うれしくて書かせていただきました。
そう、そうなんですよね。
私もあの刑場で違和感を感じていたのです。
あの2時間のあいだになにがあったんだろう・・・、と。
あるいは、あそこまでの直前に、なにが、と。
手紙の場面もものすごい、のですが。
あのなかも、もうすごい場面でした。
私は、階段を上がるところがたまりませんでした。
上からの、ショットです。
嘘偽りのない、なにかが乗り移って見えました。
日野原先生が書かれていました。
「実感に満ちた映画」だと。
父母や親戚や目上の人から聞いた話。
私自身の体験や体感。
そういったものすべてが実感として満ちていた作品でした。
はじめまして♪
豊松さんが処刑場に行くまで間に、いったい
何があったのかと考えると、悲しいことしか想像
できず、辛くなります。
豊松さんが着替えさせられた?あのボロボロの服
泥汚れや破れ焦げたような跡が、日本軍の兵士が
着ていた(軍)服のように思(見)えて
「戦犯だから(として)」ということを、強調させる為に
着せられたようにも思えるのです。
「答え」を聞いてみたいです。
本当に深く、いろんな思いを抱かせて、考えさせられる
映画です。
お返事が遅くなってしまって、すみませんでした。
これに懲りずに、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
手紙を書き終わった時から、ざまざまな憎しみは文字に
なって、その後の豊松さんの「想い(心)」は
空っぽになっていたのでは?と思っています。
でも、無意識に(最期に縋るように)握り締めていた
家族の写真を見て、指でなぞる豊松さんの最期の心は
「貝になりたい」ではなく、「家族へ帰りたい」だった
のではないかと、勝手に思っています。
豊松さんの書いた手紙を読んだ房江さんの、その後の
きっと思い続ける辛さ(悔やみ)を思うと
いたたまれまくなくて、豊松さんが握り締めていた家族の
写真を、ジェラーが拾い、いつか豊松さんの最期の思いとして房江さんに届けてくれたらと、勝手に思ってしまい
ました。(←いつもの妄想主婦の戯言です(苦笑い)
本当に「すべてが実感として満ちていた作品」です。
そして、深く知りたい・・知るべきことなのかもとも
思っています。